共感的理解科

共感的理解科がどのような経緯で生まれて来たか、を文献調査と関係者への聞き取り調査によって明らかにしようとして論文です。未完です。


【共感的理解科関係】

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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(1-1)
「共感的理解科」は、現在、小学校社会科の主流を占めている。もう小学校で主流を占めるようになってから30年以上が経過した。したがって、これがある時点で創り出され広められたものだということを知らない現職教員が多い。しかし、自分たちの営みを相対化してみない限り、新しいより良い実践は生まれない。そんな思いを持って、平成14年、まだ旭川にいた頃に執筆したものである。
 昭和58年、明治図書の『社会科教育」(8月号)に、中野重人の「共感的理解を図る(その2)」という論文が掲載された。前年から同誌に連載されていた「社会科における関心・態度の評価と指導」の第9回目のものであった。中野はこの論文の中で、「共感的理解」を図る学習内容があるものこそ、文部省社会科の正統であると宣言した。
 吉田
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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(1-2)
(1-2)としているが、(1-1)に収めきれなかった分でしかない。したがって、(Ⅰ)の註なども入っている。
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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(2-1)
「平成13年3月30日,東京都大田区に住んでいる田中かよ子先生①に会うことができた。前日に大森第六小学校の教頭先生が,田中先生と連絡をとってくれたおかげであった。」という書き出しで始まる。大森第六小学校において、どのような教師がどのような状況の中で「共感的理解科」と呼ばれることになる授業構成を生み出したのかを、田中かよ子教諭からの聞き取りで明らかにしようとした。
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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(2-2)
これも(2-1)に収めきれなかった分である。したがって、田中教諭の語りを中心に記述が進められている。戦後30年たった昭和50年代に、大森第六小学校においては、当時の田上校長の下、児童中心主義の教育が行われていたという事実を知って、筆者は感動した。
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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(3-1)
田中かよ子元教諭のつぎのような話から始まる。大森第六小学校で、「関心・態度」の研究が始まった経緯について話していただいたのである:「大森第六小学校の「関心・態度の評価」研究、「総合」の研究は,文部省指定とか都の指定とかいうことでやっていたのじゃなくて,いわば自主公開いうことでやっていました.それでもずいぶん遠くから,たくさんの人たちが見にきてくれました.田上校長が,昭和53年で退職されて,その後,田中敏子校長がお見えになりました.この校長先生の下で,「関心・態度」の評価に焦点を当てた大六の研究が始まりました.」
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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(3-2)
(3-1)としたものの続きである。聞き取りを終えて、三原通りでわかれるところまでが書かれている。
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北海道教育大学の教え子たちと

(大雪青年の家)