沖縄の山の中を行く
別の箇所に書いたように、今、中学校社会科歴史教科書に見られるアイヌ民族関係記述は、それが教科書に初めて登場した昭和50年ごろのものに比べるなら、格段の進歩を遂げたものになっている。なぜ、そのような進歩を遂げたのか。歴史学における研究の深化、そしてその深化したものを教科書編集者や執筆者たちが記述内容に反映させたからである。
<昭和50年代の中学校社会科歴史教科書に影響を与えたと思われる文献>
学校図書の昭和56年版は、明らかに井上の時代区分に従っている。井上は北海道の高校
の教諭であり、また道歴教協の会長も務めた人物である。安井俊夫(千葉歴教協)などを執
筆者にしていたこの時期の学図の教科書は歴教協の会員やそのシンパをターゲットにしてい
たと思われる。
日本書籍の昭和58年版に大きな影響を与えたと思われる文献である。
<深化に貢献したと思われる文献>
日本史の中で、アイヌ民族は「まつろわぬ人々」としてあるいは「遅れた人々」として政権
に組み込まれていく人々として記述されてきた。菊池はその視点を逆転して日本史の中に「日
本人側の行為をアイヌ民族の視点から見るとどうなのか」というスタンスに立ってこの本を書
いた。
大和朝廷、江戸幕府などその時々の中央政府に視点を据えた「日本史」ではなく北から南に
連なる「列島弧」に生きる人々を同等に取り上げようとすると「日本列島史」になる。浪川
は、アイヌ民族をこの「列島弧」の北の主たるアクターととらえ、松前藩との関係だけでなく
千島、サハリン、中国本土とも交易していた民族ととらえた。すなわち、アイヌ民族を縄文時
代人的な「狩猟と漁労、採集経済」の民族とせず、「中継交易」の民と捉えたのである。この
アイヌ民族観は、平成17年版以降の各社のアイヌ民族関係記述に反映されている。