教科教育学の研究は、大きく三つに分けることができます。
先ず、原論的研究とでもいうべきものです。これは、そもそも教科教育とはどういうものか、それを研究するときには何をどんな角度から見るべきかを論じたものです。「二分法を越えて」などが、これに該当します。
次にあげるべきは、実証的研究です。それは、何がどうなっているのか。そしてそれはなぜそうなったのかなど事実とそれが成立した所以を明らかにしようとするものです。抽象的な言い方でわかりにくいですね。具体的に言いましょう。ある社会科の授業形式やその形式の下にある考え方が如何なる経緯で生まれてきたのかを明らかにしようとする研究だといったら、わかりやすいでしょうか。また、中学校社会科歴史教科書に、「アイヌ民族関係記述」が、いつ・どんな経緯で登場してきたか、それはどんなふうに移り変わって来たか、といった研究などもこれに該当します。
三つ目が規範的研究です。これは、その教科では何を・なぜ・どのように教えるべきかを論じたものです。ここでは、「社会科論:意思決定力育成科」と「社会参画学習」についての論文がこれに該当します。
以下に、それぞれの具体例を示します。
メディア学習とか、伝統・文化学習といったテーマ別に論文を分けたものは別のページに掲げていますから、興味があったらそちらを見てください。
本論は,教員養成のために必要な新科目の教育内容について提言しようとするものである。それがめざすところは,教科指導の力を学生につけることである。しかし,従来からある教科専門科目や教科教育法の枠内に収まるものではない。また,見,従来の枠に収まっているように見える部分も,これまでの「教科専門科目」-「教科教育法」という-三分法に当てはまるものではない。
この新科目に名称を与えるとすれば,おそらく「教科カリキュラム研究」というものがもっともふさわしい。
日本教育大学協会第二常置委員会(編)『教科教育学研究』(第20集) 2002年 pp.3-23.
上掲の「二分法を越えて」と似たような内容を持つ論文である。目的として次の2つを先ず掲げている。
・ 教科育学における教科内容の研究事例を 挙げながら、その研究の嚮導原理を示すこと
・ またそれと関連して、「教科専門」の研究者たちが教員養成系大学・学部の講義として行うにふさわしい
講義内容を粗いレベルではあるが提唱すること
日本教育大学協会第二常置委員会(編)『教科教育学研究』(第23集)2005年、pp.3-4-15.
本論は,「多文化主義的・多元的記述を構想するための基礎作業としての教科書分析」というサブタイトルを持っている。書き出しは、以下のようになっている:
本論は東京書籍など5社の昭和53年度本中学校社会科歴史教科書の近世史にアイヌ民族関係記述がはじめて登場した理由を明らかにしようとするものである①.
当時,学習指導要領が,近世史にアイヌ民族関係記述を盛り込むことを特に要求したわけではない.また,アイヌ民族関係団体の方から各教科書会社に対して特に働きかけがあったわけでもない.したがって,それは教科書出版社側の自主的な判断によって行われたものである.
なぜ,このような自主的決定がなされたのか.これを関係者へのインタビューと関連文献の読み込みによって明らかにすること,これが本稿の目的である.
※ 本論は、学会誌論文として執筆したものか、それとも北海道教育大学の「研究紀要」のために執筆した
ものか、調べたが、わからなかった。前者の場合には採用されなかったのであろう。後者の場合には、以
下に示すいくつかの論文のまとめとして書いたものかもしれない。
現在のわが国の社会科教育界には、意思決定力育成を志向する社会科((以下、「意思決定力育成科」)、社会形成力育成を志向する社会科(以下、「社会形成科」)、合意形成力育成を志向する社会科(以下、「合意形成科」)、社会参加(ないし社会参画)力育成を志向する社会科(以下、本論の「社会参画学習」と区別するために「社会参加科」とする)、共感的理解力育成を志向する社会科(以下、共感的理解科)、規範反省力育成を志向する社会科、社会科学的な認識力育成を志向する社会科(以下、「社会諸科学科」)など様々な社会科論が存在する。
本論はこうした様々な社会科論のうち、「社会問題科」に括れるものを検討し、社会参画力育成のための社会科授業の構成を学習指導略案レベルで提案しようとするものである。このとき、本論は社会参画力育成のために児童・生徒に何らかの具体的・実際的行為をさせる契機を授業のなかに必ずしも組み込む必要はないという立場をとっている。それよりも子どもたちの提案内容を根本的に変えるべきだと考えているのである。